松島温泉では、ちょいと高級な旅館に宿泊ということになっており
到着すると女将のお出迎えに、なかいさんが部屋まで案内してくれた。
どうやら、この宿は荒井さんが何度も利用してたようで、いわゆる顔なじみなものだから
高級旅館らしい、上品なおもてなしを受けなかなか気持ちがいい。
部屋に入ると、食事までに温泉につかろうということになり男たち6人の裸のお付き合いというわけじゃ。
極限のスピードから開放された、なんともマッタリとした時間と温泉が体を溶かしていくようだ。
そんな、とろりとした時間の中で交わされる会話はやはりバイクのこと。
ひとりがこんなことを切り出した
「こんなに面白くて、こんなに手軽に手を出せる遊びってそうそうあるもんじゃないよなぁ。」
わずか2時間ほどてはあるのだけれど、非日常的な異次元のスピード域を供走したという不思議な連帯感とでも言えばいいのか、普通の人間では体験することなどあり得ない世界を共有したという、なんとも妙な空気ができておった。
だから、彼の言う言葉に異論などあろうはずがない。
例えば、今日体験したスピードをバイク以外の方法でとなると車しかない。
フェラーリやランボルギーニのフラッグシップが必要だろう。ウン千万円の金が必要になる。
たとえフェラーリやランボルギーニを手に入れたとしても渋滞になれば、軽自動車と同列ということになる。
ところがバイクの場合は車に比べれば幅が極端に狭い。
渋滞で車が止まっているわきをスイスイとすり抜けて走ることができてしまう。
現に今回もほんのちょっと渋滞の箇所があったけれど、スピードは落としたとはいえ法定速度をはるかに超えたスピードですり抜けてしまった。早い話が渋滞しらずである。
今回集まったメンバーのバイクじゃが、バイクメーカーのスーパースポーツいわゆるSSタイプ。
車で言えばそれこそフェラーリ・ランボルギーニというわけじゃが値段は雲泥の差じゃ。
車種によっての違いこそあれ150万から高くても300万円でおつりがくる値段。
この価格というのは車で例えるなら国産のコンパクトカーやファミリーカーと同等。
すなわち、一般庶民にも手が届くいたってリーズナブルな値段であの異次元世界を味わえるのである。
わざわざ説明するまでもなく、これも暗黙の了解で口には出さないまでも全員が同様のことを考えていた。
だから
「こんなに面白くて、こんなに手軽に手を出せる遊びってそうそうあるもんじゃないよなぁ。」
ある意味で全員の総意を表した本音でもあったわけじゃ。
そう、ここにいる全員の総意であり、もちろん私も含めてのことじゃ。
ではあるのじゃが、私の中でなにかひっかかるものがある。
今日の我々の行為は法治国家である日本において許されることなのか・・・・?
この私の思いを察したかのように荒井さんが言葉を続けた
確かに手軽で、その気になれば誰だってできるくらい面しれぇ遊びだけど、ただそれだけじゃねぇよな。
俺たちって、自慢するわけじゃないけど社会的地位もあるし、そこそこの経済力もあるわけだろ。
だけど、そいつを手に入れるために犠牲にしてきたものは半端じゃない。
もちろん俺たちだけのことじゃあねぇな、現代社会に生きてるみんなに言えることなんだが
産まれてきてからずーっとって言っていいんじゃねぇのかなぁ。
親にしつけられ、学校では校則を強要され、大学時代はちったぁ羽伸ばせたけど社会人になったら
それこそ理由のわかんねぇルールや規則っつう鎖にがんじがらめに縛られてきたわけじゃん。
そもそも高速道路で80kmの速度制限っていったいなんなんだよ。ワケわかんねぇだろ。
日本じゃ最高速度は100kmに制限されてるわけじゃん。だったら最高速度が100km以上出る車やバイクが日本で売られているっつうのはそもそもおかしいだろ。
矛盾だらけなんだよ。
やってらんねぇんだよ。
このバイク倶楽部は聖人君子の集まりじゃぁねぇんだよ。
矛盾だらけの規則とルールで酸欠になっちまって瀕死の状態の人間の集いなんだよ。
だから、このときだけは心おきなく自分たちのしたいことを素直にやりゃあいいんだよ。
もちろん自己責任だけどな。
新井さんの言葉に、みんながうなずく。
そもそも男というものはこらえ性のない生き物なんじゃよ。
戦い、傷つき、それでも立ち上がって獲物を取りにいくDNAが何千年、何万年と脈々と続いてきているのじゃ。
自由でいたいんだよ。羽ばたきたいんだよ。束縛という鎖を引きちぎりたいんだよ。
こんな思いを持つ男たちにとって、現代のスーパーバイクはあまりにもピタッとはまり込んでしまった。
温泉から上がって、先ずはビールで乾杯。
そして、豪華な料理をつつきながら、さらにバイク談義はエスカレートしていった。
続く